RECOMMENDs連載「ワールド マーケティング サミット こぼれ話」

サミット特別顧問 回想録

第2回 ワールド マーケティング サミット こぼれ話 柴田光廣 ワールドマーケティングサミットジャパン特別顧問 (有)ルミエール代表

柴田 光廣

「コトラー先生の『私の履歴書』舞台裏」

第1回で記述した通り、2013年12月日本経済新聞に掲載されたコトラー教授の「私の履歴書」は、2014年開催のフィリップ・コトラー・マーケティング・サミット(PKMF)、そして第1回WSMJ開催に大きな影響を与えた。

私はコトラー先生の「私の履歴書」執筆のアイデアを、1990年代前半から日経新聞に働きかけてきた(「マーケティングと共に―フィリップ・コトラー自伝―」訳者あとがき参照)。ちょうどその頃、エバンストンからケロッグ経営大学院の幹部が来日し、日本におけるケロッグの知名度向上策を話し合い、その席で私は一案としてコトラー先生の「私の履歴書」を挙げた。以来、親しい田中記者等を通じて日経にコトラー先生を推薦し続けたが、なかなか実現しなかった。

2013年にJMAの専務理事 石橋さん(当時)にこのアイデアを話したところ、後藤 会長(当時 /元花王社長)が日経の経営委員をしているということで話を通してもらい、あっという間に「私の履歴書」掲載が実現した。田中記者によると「後藤会長から直接お話を聞くまで、日経幹部はマーケティングの大家コトラー先生のことをあまり知らなかった」そうである。

コトラー先生の連載開始は2013年12月と決まり、掲載された1か月の間、日経電子版の読者ランキングで連日上位に入るほど大好評で、「私の履歴書」としては最良の部類とのことだった。

私はコトラー先生からオリジナル原稿への事前コメントを求められていて、平和のマーケティング(後述)やWMSに詳しく触れる事、日本やKCJについても出来る限り言及すること等をすり合わせた。この「私の履歴書」掲載のタイミングは、ラッキーな面を伴ってWMSJのプラットフォーム形成に非常に役立ったのではないかと思う。

ちなみに連載終了後、日経幹部は、コトラー先生のアイデアを長年にわたり提案して来た田中記者に「面白く、ためになる履歴書だった」と語ったそうである。

この記事は2020年公式サイトに掲載された記事の転載です

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