連載「ワールド マーケティング サミット こぼれ話」
第1回 ワールド マーケティング サミット こぼれ話 柴田光廣 ワールドマーケティングサミットジャパン特別顧問 (有)ルミエール代表
「ワールド マーケティング サミット
日本開催までの道のり」
ワールド マーケティング サミット(WMS)は、コトラー先生が2013年12月の日本経済新聞掲載「私の履歴書」で書いている様に、ワールド エコノミック フォーラムに刺激を受けて始めた会議で、第1回目は2012年にバングラデシュのダッカ、第2回目は2013年にマレーシアのクアラルンプールで開催された。第3回目は当初バンコク開催の予定だったが、タイ国政情不安の影響で急遽日本で開かれることになった。
2014年1月、コトラー・インパクト社(KI)のファヒム・キブリアさんが来日し、ネスレ日本CMOの石橋さん、日本マーケティング協会(JAM)専務理事の石橋さん(当時)、現在 事務局長としてご活躍の服部さん、そして私とで、芝浦のインターコンチネンタルホテルにてワールド マーケティング サミット日本(WMSJ)の開催に関する初めての意見交換会を持った。
急な開催だったので様々な困難があったが、JMAの石橋さんや服部さん、ネスレ日本の高岡社長(当時)や石橋さん、日本のケロッグ同窓会(Kellogg Club of Japan :KCJ)の会長 加治さん(当時)、堀内さん(H&Kグローバル・コネクションズ)、在米の大坂さん(BlueCiel Partners)、そして電通関係者やスポンサーのANA、日経新聞の田中記者などの協力とチームワークにより、2014年9月にグランドプリンス高輪ホテルで無事に、かつ成功裏に開催された。
その後、WMSJは毎年開催されてきたが、2020年11月は新型コロナウイルス感染症の影響でオンライン形式での開催になった。いずれにしても、世界の高名な学者や経営者、多才な登壇者が集まるWMSを継続開催できるのは、コトラー先生の力は勿論のこと、KIだけでなく日本の関係者全員の素晴らしい努力の結果であり、マーケティング史上世界に誇れる日本の成果だと思う。
WMSJ成功の裏には、ネスレの高岡社長(当時)や石橋さんの強力な支援と、JMAの後藤会長(当時)の下、JMAの並々ならぬ力量や企画力があった事が大きいが、タイミングという幸運にも恵まれていたと感じる。
私がKCJメンバーの鳥山教授と一緒に、コトラー先生とJMAとの強く深い繋がりや将来計画を詳しく聞いたのは、確か2013年の初めだった。JMAの石橋さんは、コトラー先生がインドネシア・バリ島の王子に請われて設立に協力した「マーケティング・ミュージアム 3.0」の開館式に出席し、コトラー先生と共に、日本に於けるフィリップ・コトラー・マーケティング・サミット(PKMF)を、2014年3月に開催する事を決めていた。盛大だったこのPKMFは、同年9月のWMSJへと繋がる素晴らしいキック・オフだったと思う。
私はここでWMSJのオペレーションに尽力された全ての方々、トヨタ自動車・YKK等、これまでの協賛企業や関係団体、多数の登壇者、会議の参加者・出席者の全てに触れる事は出来ないが、WMSJにご縁のあるすべての方々に深い敬意と、そして、コトラー先生のこの壮大な計画に心からの感謝を捧げる。
以上を踏まえて、次回からは、WMSJに纏わる3つのこぼれ話に触れてみたい。